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朝青龍明徳については前述の貴乃花ほどの厳しい批判をしていなかったが、2007年夏のサッカー騒
動を期に徹底的な批判に転じる。これについて本人は「即刻クビだと思った」と発言している。
朝青龍が3場所連続休場後に出場した2009年初場所では、場所前に「朝青龍は、相撲そのものに執
着がないから、1勝2敗で3日目に引退する」と予測していたが、朝青龍は14勝1敗で優勝した。
相撲は、旭国(大島親方)のファンだったやくさん。
亀田史郎とテレビ朝日スーパーモーニングにてテレビ番組でケンカ寸前の論争をした。その際、史
郎に対し、(史郎の息子らに対する躾がなっていないとして)しつけ糸を投げつけ、息子の試合を
「安いドラマ」と挑発した。ただ、内藤大助対亀田大毅戦の前日にムーブ!で今まで亀田の試合自
体は見たことがないと発言していた。
デーモン閣下はやくから見ると桐蔭学園中学から早稲田大学までの後輩に当たり、「Qさま!」や
「大相撲この一年」などでは共演もしている。
2013年9月8日東京オリンピック開催が決定した日、NHKの12時のニュースに出演しオリンピック
反対の立場に立つとしてコメントしている。理由は原発問題にからむものである。
石原慎太郎について、『FLASH』誌にて、12年間の都政のうち、教育・福祉の分野では「70点」
と評価し、「児童ポルノ規制、日の丸・君が代の徹底はむしろ評価。
知事自身が過去、ヤンチャな時代があったにもかかわらず、看過できないと表現の自由に一石を投
じた点は評価してもよい。」とコメントした。
子供がいないようで離婚寸前という記事も・・・。
「イジっていただく分にはまったく問題ありません」:やくみつる
自身の連載で「編みこみ式増毛を始めた」とキッパリと明かしたやくみつるさん。
「ツッコんでいいのか?(伊集院光)」「どうリアクションを取っていいのか分からない(品川
祐)」という声に対して、正面から「イジれ」という男っぷり。
「相撲の断髪式とか、着帽が許されない場所がありますよね。そういったときに悩んだりするよう
な煩しさもなくなりました」とも語っています。
巧言令色少なし仁
慙愧懺悔六根清浄
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またまた、政治家と金のスキャンダル。
政治家ってなんでこれほど学習能力が欠如しているのでしょう。
100,000千円もの金どこで使ったのですか?
小渕優子さん、説明責任の必要はないですよ。
警察に任せておけばいいですよ。
それこそ金と時間の無駄です。
安倍総理にもこんな人を任命した責任は当然あるでしょう。
選挙区(群馬5区)の皆さんも早く引っ込めさせたほうがいいんじゃないですか?
そうでないと、皆さん、お里がしれますよ。
東大卒の旦那もTBSで肩身の狭い思いをしていることでしょう。
姉の小渕暁子さんのデザイン事務所に7年間、計494万円支出。
2010年、上海万博で日本産業館のユニホームやキャラクターデザインを手掛けた。
この政治団体が姉の夫が経営する店から商品を買うことは、公人としての自覚もなく、国民の理解は得られません。
その中には、乳幼児用品、玩具の費用までありましたって。なんでもかんでも経費で落としちゃえ!そこらの個人商店と同じです。(失礼!)
この政治団体は、小渕優子の「YESマン」集団です。
自浄能力はありません。
小渕優子は辞任して、この政治団体は解散です。
最後に言い訳は、情けないですが「政治資金規制法を知らなかった。書き方もわかりませんでした。ごめんなさい!」でいいでしょう。
欠陥商品を取り締まる経産省は、欠陥大臣をどのように処置するのでしょう。
人任せですか?
民間企業でこんなこと起きたら辞表出したら済むんですか?
小渕優子経済産業相(40)=群馬5区=の関連政治団体「小渕優子後援会」が開催した「観劇会」をめぐる不透明収支問題で、群馬県の市民団体「市民オンブズマン群馬」(小川賢代表)が、小渕氏を政治資金規正法違反や公職選挙法違反の罪で、東京地検に刑事告発する方針を固めたことが19日、同オンブズマンへの取材で分かった。20日にも告発状を提出する。
当たり前ですね。
それでも、汚職撲滅に躍起になっている汚職大国の習近平、船が沈没しても空白の7時間が説明できない朴槿恵よりましか? ところで後任は誰でしょう?政治資金報告書に1円単位で報告してる方は2人しかいないそうです。金の管理がうまい小沢一郎さんとロシアとパイプが太い鈴木宗男さんです。 小渕優子辞任の余波NHKの情報番組「あさイチ」が20日、小渕優子経済産業相(40)の辞任報道のため番組を約13分に短縮して放送。ネット上では視聴者からの不満の声が相次いだ。 通常の放送を期待していた視聴者も多く、「小渕さん事件であさイチ13分しかやらないとか~」「小渕大臣の辞任、あさイチをほぼ全削りしてまでお伝えするほどのことかしら……」「あたしの朝の癒しが、たったの13分だなんて…」と不満の声も少なからずあった。 小渕優子の影が薄いいっていうことか・・・?
父、小渕恵三氏の略歴
一男二女の父。妻・小渕千鶴子は大野太郎三女
早稲田大学第一文学部英文科卒
昭和38年、父・光平の地盤である群馬3区(現5区)から衆院議員に当選。
以後、連続当選し、郵政・建設政務次官、総理府総務長官・内閣官房長官などを歴任、竹下内閣の官房長官として“平成”の元号を発表した。
自民党内では田中派・竹下派と主流にあって幹事長・副総裁を務めた。
9年、第2次橋本内閣の外相、7月、橋本首相の後任として、党総裁選の末、梶山静六、小泉純一郎、を破り首相に就任。
1月小沢一郎党首率いる自由党と連立して内閣を改造。
9月の党総裁選で加藤紘一、山崎拓を抑え再選すると、10月に公明党を加えた。
党連立による第2次小渕改造内閣を発足させた。
12月脳梗塞で倒れて総辞職、以来昏睡状態が続いていたが、5月に入院先で死去。
首相在任中は経済再生などに尽力し、金融再生関連法を成立させた他、 賛否両論の日米防衛協力のための新指針(ガイドライン)関連法、国旗・国家法、 通信傍受法など次々と成立させ、自自公の巨大与党を作った。
また“人柄のオブチ”と呼ばれ、“ブッチホン”の流行語を生み出す程、 頻繁に電話をかける気配りを見せた。