忍者ブログ

美容・健康情報満載のREOの忍者ブログ

ブログやるなら忍者ブログ!

木曽御嶽山噴火|オオナムチの神、スクナヒコノ神の天譴か?

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

木曽御嶽山噴火|オオナムチの神、スクナヒコノ神の天譴か?

プラセンタ サプリメント 濃縮50倍 エイジングケア ビタミンB2  27日昼前、長野と岐阜の県境にある御嶽山が噴火。
以前は死火山や休火山であると思われていた山であるが、1979年(昭和54年)10月28日に突如噴火した。気象庁は2008年(平成20年)3月31日に噴火警戒レベル1(平常)と噴火予報を発表した[。2014年(平成26年)9月27日に噴火、南側斜面を噴煙が流れ下り、噴火警戒レベルが3に引き上げられた

御嶽山は長野、岐阜県堺にある。主峰は剣ヶ峰3,063m、摩利支天山2,959m、継母岳2,868m,北アルプス南端にそびえる複式火山。頂上付近にはある御嶽神社は奈良朝末に信濃国司がオオナムチ、スクナヒコナの2神を祀った。富士山、白山(石川県)とともに霊峰として信仰を集めた


尾張藩の森林保護のため、一般の登山は、毎年7月10日から9月15日までの期間に登った。麓の黒沢、王竜は神主の家が多く信仰集落を形成した。

※オオナムチノカミ
隠岐島の白兎が因幡の気多(けた)岬(現,鳥取市白兎(はくと)海岸)へ,海のワニ(鮫(さめ))をあざむいて並ばせ,それを橋にして渡ろうとして失敗し毛皮をはがれる。通りかかった八十神(やそがみ)にさらに痛めつけられて泣いていると,オオナムチノカミ(のちの大国主神)に治療法を教えられ救われる。

※スクナヒコナ
少彦名命 すくなひこなのみこと
「日本書紀」では高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の子,「古事記」では神産巣日神(かみむすびのかみ)の子。常世(とこよ)の国からおとずれるちいさな神。大国主神(おおくにぬしのかみ)と協力して国作りをしたという。「風土記」や「万葉集」にもみえる。穀霊,酒造りの神,医薬の神、温泉の神として信仰された。「古事記」では少名毘古那神(すくなびこなのかみ)。


【山岳信仰の歴史】

御嶽山は山岳信仰の山である。通常は富士山、白山、立山で日本三霊山と言われているが、このうちの白山又は立山を御嶽山と入れ替えて三霊山とする説もある。日本の山岳信仰史において、富士山と並び庶民の信仰を集めた霊山である

鎌倉時代御嶽山一帯は修験者の行場であったが、その後衰退していった。室町時代中期に、山頂の御嶽神社奥社登拝に当たり麓で75日または100日精進潔斎の厳しい修行が必要とされ、この厳しい修行を行ったものだけに年1回の登拝が許されていた。


この「道者」と呼ばれる木曽谷の人々による登拝が盛んとなった。

1560年(
永禄3年)6月13日に木曽義昌が、従者と共に武運を祈願するために御嶽神社の里宮で100日の精進潔斎を終え後登した。

江戸時代前期の行脚僧円空も登拝し、周辺の寺院で多くの木彫の仏像を残している。

1785年(天明5年)に尾張春日井郡出身の覚明行者が、旧教団の迫害を退けて地元信者を借りて黒沢口の登拝道を築き、軽い精進登山を普及させるに成功し、厳しい修行をしなくても水行だけで登拝できるようになった。


その後普寛行者が王滝口を開いた。江戸時代に、王滝口、黒沢口および小坂口の3つの道が開かれることにより、尾張や関東など全国で講中が結成され御嶽教が広まり、信仰の山として大衆化されていった。

江戸時代末期から明治初期にかけて毎年何十万人の御岳講で登拝され賑わっていた。

1868年(明治元年)に黒沢口の8合目には「女人堂」が御嶽山で最初に山小屋としての営業を開始し、この上部への女性の立ち入りが禁止されていたが、1872年の太政官通達により他の国内の山と比較して早くから女人禁制が解かれた。


【最近の噴火】
1979年(昭和54年)

  • 10月28日
  • 午前5時頃 - 水蒸気爆発が起こり、王滝村役場の職員が頂上付近で高さ150 mの噴煙を確認した。
  • 午前5時15分頃 - 王滝頂上から山頂へ向かった登山者が硫黄臭に気付き、15分後に降灰を受けた。
  • 午前6時頃 - 王滝口7合目の登山口(田の原)で登山者、頂上付近で黒煙が上昇するのを目撃し、頂上にいた登山者はジェット機に似た音やかなりの煙に気付いた。
  • 午前9時頃 - 三岳村から白煙が1箇所から上昇しているのが確認され、田の原では白煙が茶色に変わるのが確認された。
  • 午前9時30分 - 飛行機から山頂の山小屋が黒い火山灰に覆われて、高さ1,000 mの噴煙が東北東に流れているのが確認された。
  • 午前11時 - 定期航空便が高さ1,800 mの噴煙と下部で灰色の火山灰が上がっているのを目撃し、三岳村では降灰のため暗くなった。
  • 午前12時30分頃 - キノコ雲状の噴煙が確認された。
  • 午後2時頃 - 7合目付近で高さ3,000 mの噴煙が上がり、地鳴りと共に直径1 m程の岩が飛ぶのが確認された。
  • 午後3時頃 - 三岳村では降灰が盛んとなり、開田村では降灰により視界が10-20 m程となった。
  • 午後5時頃 - 王滝村から多量の黒い煙が確認され、王滝頂上の山小屋の裏の方では白い噴煙が確認された。王滝口村では多量の降灰が続いていた。
  • 10月29日 - 噴煙の量は減少して白色に変わり、火山灰の降灰も少なくなった。
  • 10月31日 - 噴煙には火山灰が含まれなくなった。
  • 1991年(平成3年)5月中旬 - 火口でごく小規模な噴火が起きて、10トン程度の火山灰を噴出した。
  • 2007年(平成19年)3月後半 - 火口でごく小規模な噴火が起きた。
  • 2008年(平成20年)3月31日 - 気象庁は、噴火警戒レベルの導入に伴い、噴火予報(噴火警戒レベル1、平常)を発表した。



木曽御嶽山地図



地球の時空的見地からみても頻繁に噴火していると言っても過言ではない。
不謹慎な言い方ではあるが、神をも恐れぬ人間の我欲に対する天譴ともとれないことはないのではないか・・・?



京都桃源院の護符





PR

コメント

プロフィール

HN:
小山 仁
性別:
非公開

P R